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私が結婚をする直前くらいから、亭主との馴れ初めなど想い出などを
書き綴ってきましたが、一旦、ここらで切り上げましょう。
亭主は人生の最終の地へ旅立つ日も近いし、書き続けるには今少しの
時間が必要なのね。

私も天国で暇じゃないのよ、先に逝った養母に顔も知らなかった実母や父にも
会えたし、今までの幸せだった日々を思い出して聞かせているのよ。
何故か、不幸な事や辛い想い出は消えてしまい、良い事のみぞ遺るのね。

亭主も、最終になるであろう地は、二人で話していた夢の地ではないけれど、
田舎も田舎みたいなの、娘の早とちりだったのかもしれないけど、
それはこれからの生活が、きっと楽しい日々になることで報われるわ、きっと。

私もそろそろ、教育を受けて次期観音様になる準備に入るのよ。
毎日が試験に向けて忙しくなるわ。
では皆様、亭主とか息子を見掛けたら声を掛けてやってくださいませね。
ええ、娘にもです。

最後に、亭主にも会えなくなるかもしれない孫が一人、会えなくなってしまっている孫二人
と会う機会を何処かで作ってやらねばね、試験が終わったら考えましょう。

では皆様、また会える日を  ごきげんよう。
# by michiko2544 | 2009-09-06 13:10
会社勤めも色々あったけど、給料が安いのよねぇ。
世間一般で云うところの安月給取りだったのだの、私と二馬力で働かないと
生活ができないのよなぁ。
友人が専務で、親父さんが社長の企業だったが、給料の多い少ないは言いたくなかった。
それが長年続いて爆発し、退社願いを出したのよ。

亭主は黙って下を向いて引き止められる話しを右耳から左耳へ流していたそうよね。
それで無事に辞められて、私の勤めてた会社に入社して、夫婦で同じ会社へ行ってたの。

一年が経ち、やっと亭主の給料が私を追い越したと思ったら、私が風邪をこじらせて
急性腎盂腎炎になっちゃてさ、絶対安静にしてなくてはならない状態になったのよ
子供を岡山の亭主の姉に預けて、私は入院、旦那が一人で生活し仕事をしていたけど
毎月赤字でしょ、それで電機屋を開業したのよ。
家に帰っても安静は続いてね、亭主は朝に私の昼食を塩分を抜いたのを用意して
仕事に出掛け、帰ると、二人の食事を用意してくれるのね。
同じ物を塩入りと塩抜きと、二種類ね、心で頭を下げてたわね。
洗濯物を取り入れ、新たに洗濯物を干す、亭主は頑張ってくれたはね。

あの人となら生まれ代わっても また結婚しても良いと思ったわ。
晩年に聞いたのね、『生まれ代わったらまた結婚しようね』と言ったわ。
亭主は「金の草蛙(わらじ)を履いてでもお前を捜すから待っててや」とね。
で私は言ってやったわ『今度は私が男かもよ』と オッホホホ

亭主が、自営を始めて間もなくね、涙を流して帰ってきたから『どうしたの?』と聞いたら
「いやね、団地の窓から笑い声やマージャンのガチャガチャと云う音を聞きながら
帰ってきてたら何だか涙が止まらなくなってしまってん」と。
自分の苦境を情けなく思ったんだって、私や子供に辛い思いをさせてる自分に
腹が立ったとも言ったわ。
やはり貧乏人の子は貧乏なのね。

続く
# by michiko2544 | 2009-09-04 20:24
亭主が自営を始め、家電が手軽だし、全所帯が対象に考えられるから有利だと始めたのだけど、
そのノウハウを教えてもらったのは日が経ってたわね。
息子が小学生高学年の頃、親父の名刺を持って学校のクラスの子らに配ってたのね。
その中に、日立家電販売の社長の娘さんが居たらしいの。
その子が父親に名刺を渡し、社長が営業マンに行ってこいと指示し、或る日突然やってきたのよ。
当時はね、5階建ての公団に住んでてさ、サンヨー電気が小さな看板を作ってくれて
窓のとこに貼ってたのよ。

それで直ぐに見つかったそうで、営業マンが来た時は何で知ったのか不思議だったわね。
あちらの条件は、支払いは月末に小切手でとだけです。
そして数ヶ月の後、日立家電から招待状がきてね、それがノウハウを教わるための一泊二日の
研修だったわね。
子供に留守を頼んで亭主と二人で山の中にある国民宿谷へ行ったのよ。
そこには、何処かの大型電気店に勤める人なども居て、一緒に研修を受けたのよ。

研修の後はね、近隣の電気店のお手伝いをしながら実地の勉強をするのよ。
その日の夜、では何処に店を出すか、出すとすれば幾らぐらい必要かなど細かく計算して
教えてくれるんだけど、亭主は横を向いてたのよ。
研修が済んでの帰り道で横を向いてた理由を聞いたらね、僕には店は出せないと言うのね。
その訳は、一旦開けると好きな日に休めないのだって。

休みたいのって聞いたらさ、お前と旅をしたいのに店を開けたら、いつでも営業中を期待して
お客さんが来てくださるからだってさ。

何を目指しているのだと聞いたらね、生涯を妻と二人で歩いてきて仕事や店に邪魔をされるのは許せないんだって、休んでも収入がある事を模索しているんだとも言ってたわ。

家電業を捨てて、工事を請け出した頃だったわ。
一軒の工務店と付き合いが出来て、喫茶店の改装の仕事を受けてさ、見積書を出したら承諾されたので図面を引いて、材料を揃えて現場へ一緒に行ったのね。
途中で休憩して注射をしたけど、亭主は続けたの。
約束の工期に間に合わせるために、そして仕事が完成して集金に行ったんだって。
そしたら、見積書の金額は払えないと言ったんだって、何故かと聞いたらさ相手に値切られたのだそうですって。
それはそちらの話しで、こちらには関係が無いと突っぱねたんだけど、無い袖は振れないと言ったそうなの。

それで、70万から20万も引かれた金額の小切手を貰ったのですって。
その小切手を手にした途端、亭主は社長の机をひっくり返したんだって。
そして後日、小さなダンプ・カーに砂利を積んで行って事務所の前にぶちまけたそうよ。
そして社長に会って、この野郎とか言ったらしいのね、そして残金を貰ったと言ってたわね。
うちの亭主は若かったし、道理の通らない事には俄然向って行くところがあって
ヒヤヒヤさせられる事も一度や二度ではないわね。
それだけ真剣だったって事なのかもね。

会社勤めの頃にも、喘息の発作が続いてて今年一杯は休むと社長と専務に言ったらね、
何かあったら連絡するから養生しろと言われたの。
息子や娘に近所の子供達を連れて里山を探検したりして遊んでたのもその頃だわね。
或る日、専務が迎えに来てね、お得意さんが倒産したから事務所へ机などを取りに行くから同席
して欲しいって。
そしたら上がれと言って珈琲なんか出させてさ、のんびりしてるのよ。
専務は急がないと誰かが持って行くからと急かせるんだけど、慌てるな、俺に任せろって
大見得切ってさ、帰りは遅いから寝てるように私に言って出掛けて行ったの。

翌日の昼過ぎに専務が送ってきてさ、ニコニコして、ゆっくり休んでくれやと帰って行ったの。
亭主に聞いたらさ、事務所じゃなく、社長の自宅を知っていたから西宮の家へ行ったんだって。
そしたら3人程先客が居たらしいのね、そして応接で専務と座っていたら、奥様がお茶を出して
くださって、亭主はその時に大粒のダイヤの指輪を目ざとく見付けて、台所へ行く奥様を追いかけたんだって、そして清算が済むまで預からせて欲しい、そして一筆を書いてくれたら帰るからと
言ったんだって。

暫くして奥様が電話機を持って座っている亭主に、どうぞこちらへ来てくださいなと言って
亭主を別の部屋に導いたのですって。
その電話の相手は社長の実兄だったんだって、そして、ダイヤの指輪は返してやって欲しい。
その替わり、僕の小切手で全額を支払うから家に来てくれと言ったそうなの。

あっけに取られている専務に運転させて、教えられた実兄の家はそう遠くない所に
大きな玄関の邸宅で、実兄の息子さんらしいのが玄関に立ってて、迎え入れてくれてリビングに
通され、4mもある大理石のテーブルが据えてあったとか。
そのテーブルの長さだけ皮張りのソファがあって、中央付近に専務と二人で座ったのだって。
すると背の高い おっちゃんが来て鷹揚に挨拶し、手にはペンと小切手帳を持って
座り、ゆっくりとした口調で金額を聞いたそうで、来月に集金するはずだった金額を合わせて
250万円くらいの金額を一円も残さず言ったそうなの。

すると疑いもせず、金額を書き入れてサインをしたの。
そしてね、君たちは若いから教えてあげると言って、今回の倒産の経緯を教えてもらったんだって
それは計画倒産だとかで、弟は今、香港で遊んでるわ、こんな事でもせんとあいつは5億の金も
稼ぎだせない情けない奴なんだと言ったそうね。
その時に亭主は社長の顔を思い浮かべ、クロスの金張りのボールペンをくれたのも
香港と繋がったのだそうなの。

長期間、家で休んでてもいざと云う時は力を出せる人だと思ったわ。
専務も社長も、経理をやってた社長の奥さんも喜んでくださったみたい。
翌日は、社長が見舞いに来てくださって、昨夜の手柄を、流石は前田やなと
言ってくださったけど、一瞬、菓子折りぐらいは持ってくればと内心思ったら
封筒を亭主に渡してたのを横目で見たわよ。
封筒を貰った私が開けたらね、2万円が入ってたの、当時としてはそこそこの金額だけど
損金になったかもしれない250万円を思うと安いわね。

この当時に国内で印刷した板を輸出して台湾で缶を作り輸入する話しがあって、
今のような大半が台湾や中国製になるとは思わなかったわね。

会社勤め話しが続くけど、鬼塚って会社へ缶を納めていたんだけど、やはり倒産ではないけど支払いが悪くなって、担当してた専務が助けてくれって亭主に頼んだのよ。
亭主は、こんな事になると俄然張り切って行くのね。
当時は茶色で統一したスーツ姿でさ、やすし&きよしのやすしにそっくりだったわ。
夜に鬼塚の家に行って話しをして、今週の土曜日にもう一度来るから一割りでも用意しろと
言って帰ってきたって。

その約束の日、出掛けて行ったらさ、4人の男が居てね、櫓コタツに座ってたらしいのよ。
亭主の姿を見た一人が立上がって席を譲り、反対側の人の後ろに座ったって。
話しを進めて行く内に、一人の男が鬼塚から借金をしていて、その男から取るって事で
落ち着いたらしいのよね。

左の男がバスケットのハンケチを開くと拳銃と刀が入ってたんだって。
話しに依ってはブスっとと言われたので怒鳴りつけたそうよ。
人の借金の話しでバラして刑務所に入るだけの価値があるのか?って。
相手は手を着いて謝ったのだそうね。
鬼塚が亭主の小指が欠けてたからヤクザと思い込んで、知り合いのヤクザに
声を掛けたら来たんだそうで、亭主の一喝で謝らせた迫力は今は消えて
少しは好々爺に近くなったかな?

続く
# by michiko2544 | 2009-09-03 22:55
仕事の話しは退屈だろうと書いたけど、千絵ちゃんが楽しいからと言ってくれたので
調子に乗って書かせてもらいます。

あれは、未だ自営を始めて二年目だったでしょうか。
ボーイ・スカウト仲間が電気工事の会社を経営していて、団は違うのだけど
以前から交流があったその社長と山で談笑している時に、一度会社へおいでよと言われて
亭主は大阪の中心部にある事務所を訪ねてたわね。

マンションとか、企業の電気工事を下請けされていて、小さな仕事がたくさんあって
処理しきれなかったらしいわ。
それの一部でも助けて欲しいと話しが決まって、一日20000円で受けたらしいわね。

その仕事を続けている中で、道路公団の社宅に付いている照明器具を新しい物に交換する
仕事が入ってきましたのよ。
和歌山、兵庫県の二地区を請け持ったんですって。
一台、交換して1500円の器具を軒数分の数十台を車に詰め込んで、二人でお弁当を持って
和歌山へ行ったのよ。
その日は台風が来て大雨が降っていたんだけど出掛けたの、雨のドライブって好きよ。

高速道路の出口で車が左右に分かれて停まっていてね、見ると前方の道路が冠水してたのよ。
それで、乗用車などが通れないので水が引くのを待ってたってわけね。

亭主は車を降りて深さを調べて帰ってくると「行くぞ〜」ってエンジンを掛けたわ。
ガソリン・エンジンは無理だけどディーゼルだから心配ないと水を跳ねながら進んだのよ。
キャラバンのスーパー・ロングって車種で床下も高いからと説明してくれたの。
あれよあれよと云う観客の前を無事に抜けてしまったわ。
あれは気持ち良い経験だわね。

見渡す限りの畑の真ん中の道でビニール・ハウスの方へ寄せて駐車してね、
お昼にしようかと弁当を広げたのよ。
食べていると、さっきまで無人に近い道を学生さんやレジ袋を持った人がゾロゾロ通り、
お弁当を食べている私たちを見ていたわ、そりゃ〜恥ずかしいけど仕方ないわね、仕事だもん。

お弁当を食べ終わり、少し休憩した時に通る人に聞いてみると亭主は車を降り、
学生さんは見送り、次に来た傘を差され、レジ袋を持ったご婦人に声をかけたの。

亭主「すいません、お訪ねしたいのですが」と請け負った交換先のコピーを見せてたの。
すると
奥様『それ、私の主人の会社ですの、家まで来てくだされば電話いたしますわ』

助手席を奥様に譲り、私は荷物の間に潜り込んだのよ。
奥様の指示で家に着き、電話してくださったのね。

奥様『暫く待っていただいたら主人の会社のものが迎えにまいりますので お茶でもどうぞ』

あんなに大勢の人が歩いていながら、目的の会社の人に訪ねた不思議を奥様から
言ってくださり、これもご縁なのねとニコニコと笑顔を見せてくださったの。
台数と交換する軒数を思うと一日では片付かないと踏んでいた亭主はのんびり
構えていたわね。

暫くすると黒塗りの乗用車が停まり、自分に着いてくるようにと行く先のコピーを取られた。
何とですね、あの用紙に書いてある家、マンションもオール・クリア。
中には独身で合鍵を持たれたこの人が居なければ出来なかった仕事も何の問題もなくクリア
できたんですのよ。
私は、箱を明け、中身をセットして、古いのを外した亭主に渡すとね、
脚立に上がったり下りたりの二度手間が助かるのよ。
二日は懸かるかと思われた仕事が、奥様のお陰で一日で済んでしまい、多分、高級官僚の
奥様だったのよね。
案内してくださった人に亭主と二人で丁寧にお礼を言って帰りの車でも、不思議や〜と
話しあったの。
数日、不思議と思えるその時の余韻を亭主と楽しんだものよ。

兵庫県へは息子を連れて行ってたわ。
和歌山と違って、小学生の息子が助手だったから、亭主も大変だったようだけど、
独りの事を思えば助かるし、退屈もしないと喜んでたわ。
兵庫県では、息子に手伝っていて偉いわねと言って菓子とか小遣いを貰えるのね、
息子もそれを楽しみにしていたみたいね、時には数千円にもなったって。

振り返ってみると、あの頃は大変ではあったけど楽しい日々だったわね。
# by michiko2544 | 2009-09-01 16:18
亭主が倒れ、収入の道が途絶えた間は私と子供達のアルバイトで補ったの。
娘は早朝からパン屋さんへ、息子は温泉タマゴを作るところ。
食べ物屋さんばかりね、子供達も空腹だったのでしょうね。

残り物をいただいて帰ってくる子供達に大いに感謝したわ。
だけど商売をしていると結構頂き物も多くて、菓子などは途切れる事がなかったのよ。
亭主なんかさ、友人でもある坊さんの家で仕事をしていた時に雨が降って濡れちゃってさ、
坊さんの下着、トランクスまで貰って穿いて帰ってきたの、それ以来トランクス党になってね。

工場関係のお得意さんが徐々に増えてきて、中には百姓さんの片手間に会社勤めしている
人が居て、野菜なんかもいただいたりしたわ。
お得意さんが増える中で、初めて美味しい仕事やと喜んだのはセキュリティの会社だったわね。
お得意さんに出入りしている会社で、社長さんが紹介してくださったのよ。
息子と二人で一日だけ働いて装置を付けるの。
見積書は口頭で良いんだって言ったそうだけど、亭主はワープロで作ってたわね。
二人が一日で完成させて30万円もいただけたのね、材料代は大した金額じゃないから
毎日あれば大笑いだねと言ってたけど、商売の面白さはこの美味しい仕事だよね。

ワープロはさ、亭主が入院して激痩せした時に年賀状を書く体力が無いからと、
会計士さんに頼んだの、そしたらさ、製品を配達された日にお姉さんも着いてきてね
指導してくださると言うのよ。
そのお姉さんがタイトスカートで正座されてるとこへ、飼っていた猫のミューちゃんがね
お姉さんの膝を頭でこじ開けて中へ入ったの、慌てて抱っこしたんだけど恥ずかしい
思いをしたわね。
当時は、ワープロが高価だったし、まだ普及していなかった時代でもあったわ。

建築図面なども未だ手書きだった時代に亭主はワープロを利用して図面を描いたり、見積書を
作ったりして、あれは遊んでたのかもしれないわね。
我が家にパソコンが入ったのも、そのワープロ事件から遠くない時代だったの。
仕事も順調に成長し、出張が多くなったわね。
亭主元気で留守が良いなんて言葉があるけれど、うちの亭主が出張してて出張先で発作が出て
入院したこともあり、救急車のお世話になったことも二度三度。

その度に私や娘と迎えに行くのよ。
ある時は、私が亭主を車に積んで帰る、代わりに娘が仕事をした事もあったわね。
広島で倒れた時は、着いたその日の夜から喘息の発作に襲われて、持って行かせた
注射を息子に打たせようとしたけど、上手く打てなくて救急車を呼んだんだって。
それが正解で、かなり強い発作で命の危険があったと医師から聞いたのよ。
ところがね、3日も入院したらすっかり収まって、仕事が済んだ息子も交えて
家族4人で安芸の宮島見物に出掛けたわ。

そうそう、九州でもそうだったのか、太宰府の天満宮へお参りした時の写真が今も亭主の
ベッドの横に飾ってあるわよ、皆 若いわね。

そんな事をお得意さんでもあり仕事仲間の社長さんが、私の付き添いを承諾してくださって
ホテル代を負担してくださるようになって、一安心ね、発作を止める事は出来ないにしても
対処はできますもの。
この頃は私も会社勤めを辞め、亭主の会社の事務をやってたの。
好きな時間に行って、好きな時間に帰れなんて言うけど、私の性分なのね。
一応、9時過ぎに会社へ入り、3時過ぎには帰ったけどさ。

この頃の娘の環境も大変でね、虚栄心の塊で利口でない政治家のジジと田舎育ちで
男尊女卑のババさんにジジの弟さんや、旦那の兄弟がウジャウジャ居てる家に同居してたのよ。
そんな大家族の食事を作ったりして女中さんだと口に出して言われたりもしたそうよ。
子供は取られたけど離婚させて正解ね。
実は、子供を相手に渡しなさいと言ったのは私なんだけど、後で許せなくて娘と口も
聞かない時期があったわね。
亭主に散々叱られたけど、感情を隠す事ってできないものね、娘に悪い事したわ。

時折、仕事上のストレスを発散させるのに娘の家に逃げ込んだ事も数回あるわ。
金銭を預かるのは私には不向きだったと今は言えますわ。
最初の頃は亭主がやっていたけど、あの人は私より酷いのはご存知よね?
社員の給料を毎月と言っていい程上げるのよ、そんな会社見た事ないわよ。
バブル景気の時でもあったわ、貯金もドンドン出来て楽しかった時期ね。

バブルが弾けて大変なこともあったわね。
会社の話しって退屈でしょ? これくらいで切り上げましょうね。

私の養母の具合が悪くなり、その頃に養母の近くに住む人が親切に病院へ連れて行ってくれたり
もして、ありがたく思いましたわ。
その人がトンでもない男だと判ったのは養母が亡くなってからよ。
養母の家の鍵を看護師さんから貰い、家に侵入して洗いざらい持って行ってしまったわ。
預金も金時計も集めてたPリンピック・コインまで。
それが知れる前に亭主はお礼に養母名義の吹田の持ち家を贈るよって言ったのね。
当時の持ち家は重荷でしかなかったからよ。

根こそぎ持って行った人から電話があってさ、家を寄越せって言ったみたいね。
亭主は電話口で怒鳴りつけてたわ。
この後、相続と云う程のものではないけれど、相続するって大変なエネルギーが要ると
判ったわ、亭主が全部やったんだけどね。
特に外国籍だし、悪名高い北朝鮮だし、亭主が朝鮮総連へ乗り込んでまくしたてたみたいね。
渋々、承諾した総連の所長が言うには、承諾書を書く代わりに財産の一部を寄越せなんて
言ったらしいのよ。
それが亭主の逆鱗に触れて、所長を怒鳴りつけ、そんな事をしているから嫌われるんじゃと。
それに、奪った預金など一応揃えて返せ、そして全体の何割りかを寄付するって言ったって。
それで黙ってしまったのだそうよ。
役所でも色んな事を言われたらしいけど、権力には俄然抵抗する質だから相手も気の毒ね。

続く
# by michiko2544 | 2009-08-30 11:25
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